2013.03.25 Monday
西原高校マーチングバンド
フルート・クラリネットの木管楽器。トランペット・トロンボーンの金管楽器。
リズムを力強く打ち出すのは、パーカッションだ。
縦・横・斜め 縦横無尽に移動する
幾何学模様の連綿とした動作
その中をあでやかに舞うカラーガード
複雑な動きが横一列となって前進・咆哮する
最後の高らかなひと吹きだ。
眼が叫んでいる”どうだ!!”
このような眼をわたくしも50年前にしていたのかもしれない。
石垣島総合体育館メインアリーナは、人いきれにあふれ、感動の渦に包まれていた。
「ちばりよー(沖縄の方言で頑張れの意)」と叫ぶのは石垣島の小中学生。
今日(2013年3月18日)、沖縄県立西原高校(沖縄本島)が第40回マーチングバンド・カラーガード全国大会金賞受賞記念コンサートを行っているのだ。
18時の開演が15分延期され、一列になって入場する高校生。
”あれ!!”少し地味な衣装に混ざり、ジーンズ姿やロングスカートの生徒など数名異なる服装となっている。
マーチングバンドの演奏が始まった。
力強いスイング、数曲の演奏で、しっかり聴衆の心をつかんだ。
レベルはとてつもなく高い。
50年前、わたくしは九州の田舎のブラスバンド部にいた。
担当はクラリネット。
毎日、毎日、部室に行き、一生懸命クラリネットを吹いていたことを思い出す。
親友と呼ばれる友人ができたのもこの時だ。
座って演奏していたブラスバンドは、立ち上がり、マーチングを始めた。
一人ひとりの信頼が生む確かな動きの連携。
すると、異なった服装をしていた数名が躍動する。
メッセージは、ストーリーとなって音楽と共鳴する。
ウエストサイドストーリーを思い出した。
”これはミュージカルだぁ”
帰宅するなり、田舎の友人に電話した。
「とにかくすごいんだよぉ」・・・・・・
テンションの高い私に対し、かなり冷静な友人。
”まぁ、無理もないか”
何しろ、あれから50年。
「そうやのぉ。そげえなるかのぉ」とのんびりした声の友人。
”そうそう。半世紀だよぉー”
私たちがやっていたブラスバンド部と時折いっしょに行動するバトントワラーズがあった。
くるくるとバトンを回し、時には落とし、空中高く放り投げるあれである。
ところが、50年の歳月を経て、バトントワラーズはカラーガードと名前を変え、バレエの領域に踏み出した。
時折、旗を高く掲げたり、空中高く放り投げたりはするもののストーリー性を持ったバレエなのである。
その動きがマーチングバンドの動きと重なり、素晴らしいハーモニーを創り出す。
それは、音楽というよりは総合芸術とでも言った方が良いのだろう。
50年の年輪を経て、言えることがある。
”大切なことは富や名声を得ることでではなく、プレシャスな時を持つこと。そしてそのプレシャスなこととは、自らが人生を希求して初めて見えることを”
これだけは間違いない。
私が石垣島に育ち小学生でこの演奏に出会っていたら、
「西原高校に行ってブラスバンドに入る」と言って、親を困らせたに違いない。
3時間にも及ぶ演奏会は、横一列の咆哮で終演を迎えた。
時の過ぎるのを忘れ、感動に包まれた数時間であった。
「この子たちはすごいね。大人をこんなに感動させるのだから」
連れ合いの言った一言が印象的だった。
リズムを力強く打ち出すのは、パーカッションだ。
縦・横・斜め 縦横無尽に移動する
幾何学模様の連綿とした動作
その中をあでやかに舞うカラーガード
複雑な動きが横一列となって前進・咆哮する
最後の高らかなひと吹きだ。
眼が叫んでいる”どうだ!!”
このような眼をわたくしも50年前にしていたのかもしれない。
石垣島総合体育館メインアリーナは、人いきれにあふれ、感動の渦に包まれていた。
「ちばりよー(沖縄の方言で頑張れの意)」と叫ぶのは石垣島の小中学生。
今日(2013年3月18日)、沖縄県立西原高校(沖縄本島)が第40回マーチングバンド・カラーガード全国大会金賞受賞記念コンサートを行っているのだ。
18時の開演が15分延期され、一列になって入場する高校生。
”あれ!!”少し地味な衣装に混ざり、ジーンズ姿やロングスカートの生徒など数名異なる服装となっている。
マーチングバンドの演奏が始まった。
力強いスイング、数曲の演奏で、しっかり聴衆の心をつかんだ。
レベルはとてつもなく高い。
50年前、わたくしは九州の田舎のブラスバンド部にいた。
担当はクラリネット。
毎日、毎日、部室に行き、一生懸命クラリネットを吹いていたことを思い出す。
親友と呼ばれる友人ができたのもこの時だ。
座って演奏していたブラスバンドは、立ち上がり、マーチングを始めた。
一人ひとりの信頼が生む確かな動きの連携。
すると、異なった服装をしていた数名が躍動する。
メッセージは、ストーリーとなって音楽と共鳴する。
ウエストサイドストーリーを思い出した。
”これはミュージカルだぁ”
帰宅するなり、田舎の友人に電話した。
「とにかくすごいんだよぉ」・・・・・・
テンションの高い私に対し、かなり冷静な友人。
”まぁ、無理もないか”
何しろ、あれから50年。
「そうやのぉ。そげえなるかのぉ」とのんびりした声の友人。
”そうそう。半世紀だよぉー”
私たちがやっていたブラスバンド部と時折いっしょに行動するバトントワラーズがあった。
くるくるとバトンを回し、時には落とし、空中高く放り投げるあれである。
ところが、50年の歳月を経て、バトントワラーズはカラーガードと名前を変え、バレエの領域に踏み出した。
時折、旗を高く掲げたり、空中高く放り投げたりはするもののストーリー性を持ったバレエなのである。
その動きがマーチングバンドの動きと重なり、素晴らしいハーモニーを創り出す。
それは、音楽というよりは総合芸術とでも言った方が良いのだろう。
50年の年輪を経て、言えることがある。
”大切なことは富や名声を得ることでではなく、プレシャスな時を持つこと。そしてそのプレシャスなこととは、自らが人生を希求して初めて見えることを”
これだけは間違いない。
私が石垣島に育ち小学生でこの演奏に出会っていたら、
「西原高校に行ってブラスバンドに入る」と言って、親を困らせたに違いない。
3時間にも及ぶ演奏会は、横一列の咆哮で終演を迎えた。
時の過ぎるのを忘れ、感動に包まれた数時間であった。
「この子たちはすごいね。大人をこんなに感動させるのだから」
連れ合いの言った一言が印象的だった。