イタリアの人はリモーネが大好き。
器の中でもリモーネを数々見ます。
イタリアで面白いのは、それぞれの土地で、器の製法や絵付けが異なること。日本も各地で色んな**焼きがありますよね。
イタリア各地の器を見て、それぞれの歴史を考えると紀元前から始まった雄大な時の流れを感じます。
142段のマヨルカ焼きの装飾が組み込まれた色鮮やかな階段スカーラを誇る陶器の街カルタジローネ。
田舎の小さな街を想像していた私は、見事に裏切られることになる。
石畳の道が丘の頂上に向け、幾重にも走る大きな街だ。
このスカーラを3度も往復したツーリストは少ないだろう。
階段はきつい。しかも、階段の歩幅が合わないので持ち上げる足(右足と左足)を数回ごとに変えなければならない。
この街に陶器の店が軒を連ねる。
その数、数百を優に超えると思われる。
先ず最初の素朴な疑問。
「こんなに多くの店がやっていけてるんだろうか?」
店先では職人が、それぞれ店の特色を出すように一生懸命に轆轤を廻し、絵付けをしている。価格も観光地での半額くらいで安い。多分、多くのバイヤーが買い付けにやってくるのだろう。
次の素朴な疑問。
「数百店と数十万点以上の陶器の中から気に入ったものが探せるのだろうか?」
カルタジローネの陶器。
これもすぐに氷解。
「見て!見て!」と叫ぶ陶器が目に自然と飛び込んでくる。
形と図柄。
気に入ったものを選ぶのに迷いはない。
カルタジローネのリモーネ陶器は、南国のパッションを感じさせる。
これがトスカーナに行くとこうだ。
トスカーナの小さな街の陶器屋さん
優しいタッチとなる。
トスカーナの陶器
数百あると思われる陶器の店を巡りながら、中でもお気に入りの陶器を飾っている店を発見。
これは相当に高いだろうなと思いながら、店に入り値段を聞く。
根性の座った顔の店主が出てくる。
(ウーン。いい顔しているなあ。職人の顔だ)と感心。
店主「*+#$%&・・・・」とイタリア語。
私「紙に書いて」と言いながらゼスチャー。
店主「*+#$%&・・・・」と言いながら数字を紙に書く。
ワーオ!!いくらなんでも吹っかけすぎだろう。
とにかく私の感覚では、ものすごく高価。
私「スコント」とすかさず叫ぶ。
スコントとはディスカウントのこと。ボンジョルノ、グラッツェの次に覚えたイタリア語。
少し考えて、若干の値引きの数字を書いた店主。
あまりに高すぎるので、交渉は打ち切り、グラッツェと笑顔で店を出ました。
店を出ても気になります。
夕食を食べながら、やはり気になるのはあの器。
朝起きて、器として考えると確かに高すぎるけど、芸術品として考えれば、決して高くはないと思うようになりました。
翌朝、気力もみなぎったところで、再度あの店へ。
今日は気合が入っています。
最初からあまり関心を持ちすぎると吹っかけられるので他のものも一応値段を聞いてからあの器と交渉再開。策を弄してもあまり効果はなかった。
最初店主が提示した額の半分でスタート。
私「とにかくこれでどうだい」と数字を書く。もう日本語です。
店主「*+#$%&・・・・」と顔を横に。
私「他の店の4倍くらいの値段じゃないか。スコント」と最初書いた数字を修正して提示。
店主「*+#$%&・・・・」と筆で絵を書くようなジェスチャー。
私「わかるよ。絵付けの違いくらいは、だらか交渉しているんだよ」
・・・
このような交渉が延々と続き、もうこれで首を立てに振らないのならあきらめようと思った時、「やっと、OKのサイン」ほっとしました。
結局、最終価格は店主が最初に提示した額と私が最初に提案した額の中間で決着。
最後は握手して笑顔でさよなら。たのしい買い物でした。
イタリアの小さな街では、肉は肉屋さんで、果物は果物屋さんで、会話を楽しみながら買うのが一般的です。昼食は、パキーノ(サンドイッチ)が多いのですが、パキーノと叫んで、パンを選び、もちろんジェスチャーで。ハムやサラミ、フォルマージョ(チーズ)、ピクルスなど挟んでもらいます。
私はジェスチャーですが、それでも1対1の会話は楽しいものです。
翻って、日本ではコンビニやスーパーが至る所に、自動販売機が林立し、コミュニケーションを必要としない社会に何十年もかけて作ってきたのかと呆然とします。機能や効率優先で、社会のあり方についての議論が不十分だったと思います。
少し不便でも肉は肉屋さんで、魚は魚屋さんで買う社会の方が自然じゃないでしょうか!
フィックスプライスなんてつまんない。カルタジローネで楽しい交渉の末、購入した器がこれだ。